くま川鉄道

  くま川鉄道は旧国鉄時代、肥薩線の人吉から東に九州山地の南部の谷にそって、鉄道敷設法

による「熊本県湯前ヨリ宮崎県杉安ニ至ル鉄道」を引き連れ人吉−湯前−杉安−妻−佐土原−

宮崎と進むルートの一部として、人吉からは湯前線が建設され大正13年3月30日に開業した。

開業当時の中間駅は肥後西村、一武、免田、多良木の4駅であった。この湯前線が平成元年10

月1日に第三セクター化され誕生した。

  くまがわ鉄道は全線にわたり平坦であり数本の鉄橋を持つだけであり、沿線にはのどかな田

園風景が広がっており市街地をつないでいる。この路線は沿線に5つの県立高校があるため、

典型的な通学路線となっている。一日15往復の列車は通学時間帯には最大4両編成になり通

学生の需要に対応したダイヤが組まれている。始発の人吉はJR線の5、6番線が専用に当て

られ、ホーム中央には出札口があり、2本の跨線橋でJR線と出口につながっている。次の相

良藩願成寺はJR時代は東人吉と呼ばれており、駅舎は当時のものを使っている。近くに相良

藩の菩提寺願成寺がある。川村は農村地帯のホームだけの駅、一武も当時のままであり、役

場近くに新影流元祖上泉伊勢守の高弟、丸目蔵人の墓がある。木上はコンクリートホームに雨

よけがあるだけの駅であるものの花が植えられきれいに管理されている。おかどめ幸福はくま

川鉄道発足と同時に開業した。旧国鉄広尾線の幸福駅がなくなった今唯一「幸福」の名のつく

駅となっている。駅舎はお宮作りの立派なものが建てられている。駅名は近くの岡留神社からと

られているが、「幸福」の部分については不明である。免田は唯一の行き違い設備を持っている、

免田町の中心に位置する駅であり列車はここでタブレットを交換する。東免田もホームに花壇が

備えられている。公立病院前もおかどめ幸福と同時に開業した駅で鉄パイプを足場にしたホーム

だけの駅である。多良木は木造の古い駅舎のままである。相対式であったホームの片方は今は

使われていないが、かつてこの駅は旅客、貨物とも取扱量はこの路線最高であった。北1.5kmに

ある王宮神社唐婁門は熊本県最古の建築物である。東多良木はホームに雨よけがあるだけの

駅。北西1kmのところにある青蓮寺は多良木城主・上相良氏の菩提寺で、本尊の阿弥陀如来像

と両脇侍像は鎌倉時代の作といわれている重要文化財である。南東2kmにある大田家住宅は江

戸時代末期の建物で相良家、家臣であった太田氏の住宅である。新鶴羽もくま川鉄道発足と同時

に生まれた駅。ホームにそって小さな待合室があるだけの駅である。終点の湯前は元々、背後の

山から産出される木材、坑木、木炭などを主体とした貨物駅であった。今では駅前にシンボルタ

ワー(?)が建ちホーム横には広々としたイベント広場がある。駅から200mのところには湯前町

出身の漫画家那須良輔氏のまんが美術館がある。駅前からは西米良村営バスがでており国道2

19号を経て村所で乗り換え、宮崎交通により西都に至る。かつては計画線であったためかJR

バス日肥線が出ていたが今は時刻表から姿を消している。(あるはずなんだけどなぁ)

このようにこの路線は生活に密着した路線である。たしかに終点である湯前側に観光地も少なく、

湯前、西都間の接続も一日2本であり所要時間もかかるために観光等へのメリットはあまり多く

ありません。しかしながら、列車に並走して車で走った感じから思うに時間的にも列車の方が早

く、また車では途中数箇所に市街地を走ることになるため、車の走行にも気を使う。駅数から見て

もJR時代よりも増えておりより生活密着型の路線になってる。この点から見ても、まだまだ利用

価値のある路線ではないだろうか?


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くま川鉄道の終着、湯前です。

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くま川鉄道の主力車両KT100型(新潟鐵工所)です。これといった特徴があるわけでは・・・ mainに戻る 鉄道関係に戻る