まだまだ現役!キハ603「かじか」爆走記
以前「新旧ソニック非対称比較乗車記」でちょこっとだけ出てきました紀州鉄道が今回のメインです。ということで、
今回の行き先は和歌山に決定!ついでに今年度限りで廃止の噂がある有田鉄道ものぞいてみることにしました。
紀州鉄道;和歌山県御坊市のJR御坊駅と市内中心部を結ぶ2.7kmの日本最短の私鉄(だった)。前身は御坊臨海鉄道。平成元年で日高川〜西御坊
が廃止されたため、現在の終着駅である西御坊は海には接していない。現在の保有車両は3両。かつて和歌山第二の工業都市だった御坊が市内中心部と国鉄駅が離れていたために敷設。後の経営危機により磐梯電鉄不動産会社に買収される(そのため紀州鉄道本社は東京)
02.10.27開業の「芝山鉄道」(2.2km)に日本最短私鉄の座は譲り渡してしまいました。しかし芝山鉄道は伸延構想があるため日本一の座は流動的
有田鉄道;同じく和歌山県有田郡のJR藤並と金屋口を結んでいる5.6kmの路線。もともとは沿線のミカンの搬出のために敷設されたため旅客輸送はおまけという感がある。保有車両は2台。沿線の道路が狭いため混雑時である平日のみそれも一日2往復だけ運行という非常に乗りにくい路線。
天王寺駅11:20発スーパーくろしお13号で御坊に向け出発します。普段は普通しか使わない私ですが、今回ばか
りは時間の都合により片道のみ特急を使います。切符の購入にはじめてみどりの券売機というものを使いました
が、使いにくいですね。自由席なのにわざわざ列車名を選択しなければいけないのと、乗車券と特急券区間を同じ
にしないといけないと言うのが難点です。操作は難しくないし、カードも使えるというのはよいのですが・・・。
御坊には12:35到着です。御坊駅には紀州鉄道との連絡改札がありません。確かにワンマンですから必要はない
のですが・・・。JR御坊駅の改札も「紀州鉄道にのりたいのですが」というとなにも言われずそのまま通してくれまし
た。ホームに向かうと・・・うぐぅ・・・列車の時間が変わってました・・・。10月のJRのダイヤ改正にあわせてダイヤ
を改訂したようです。しかたないので西御坊まで歩くことにしました。あわよくば上り列車を途中で撮影できるはずで
す。
御坊駅0番線。紀州鉄道専用ホーム。時刻表を見なければ専用ホームであることはわからない。
それでも地方私鉄で30分スパンの運行は立派。
歩き始めてすぐ気付いたですが、駅前の道路の幅員が狭くセンターラインもありません。駅前広場は整備されてい
ますが、まだ新しく整備されたのは最近のようです。このあたりも紀州鉄道が生き残っている理由の一つかもしれま
せん。
紀勢本線から分岐してすぐの踏み切り。左奥に見えるのはJRの架線柱。
線路が本道から離れてしまいましたので線路脇の路地or農道に入ります。
左;紀州鉄道で一番鉄橋らしい鉄橋。流れているのは農業用水路です。右;田圃の中に立つ第2種踏切。
以上すべてJR御坊、学門間
田圃を抜け、学校の路地裏を抜けていきます。駅前マンションとか言うアパートを見つけたので捜してみると、その
裏手に学門駅はありました。
学門駅。この駅の入場券は「入場券学門」と読め、なんとなく縁起がよいので、受験のお守りとして人気
このあたりからは住宅街に入り込み駅間距離も短くなりました。紀伊御坊駅は路地裏にあり、営業所もここにありま
す。
写真左;紀伊御坊駅。車両基地となっており、車庫には603と交互運行になっている「キテツ1」富士重工製レールバスが留置されています。
写真中;現在予備車扱いのキハ604。キテツ1が入るまで予備車だったキハ605が留置されていた側線に留置されています。キハ604は昭和35年新潟鐵工所製の液体式ディーゼル気動車。総括制御はできないので、重連運転時は運転手2人の協調運転となる。もともとは大分交通国東線に快速用として導入された車両だが、昭和41年の同線廃止のため同耶馬渓線に転籍。その後の耶馬渓線廃止により紀州鉄道に譲渡された。当時の愛称は「なぎさ」で正面の604の数字の上のクリーム色部分に愛称が記されていた。
(キハ605は600系の型番を付していますが、元々の車番は常磐炭鉱キハ21。後に岡山臨港鉄道に譲渡されキハ1003となり、紀州鉄道にきてキハ605となった。機械式気動車(クラッチ付き)です。紀州鉄道にきて一度も営業運転に入らなかったという悲しい車両。現在は有田鉄道に譲渡され金屋口車庫の奥に眠っているらしいが、有田鉄道もまもなく廃止になるらしく、もう営業運転に入ることはないのかもしれない。)
紀伊御坊駅は現在紀州鉄道としては唯一の駅員配置駅であるため、各種紀州鉄道グッズはここで販売されてい
ます。わたくしも販売戦略に乗せられ、「廃札セットB」を購入。紀州鉄道は基本的にワンマン運転ですが、ここで
は、切符を購入できます。ちなみに硬券です。JR連絡乗車券も売っていますので、帰りの天王寺までの切符を購
入しました。切符はこれ。
そのまま路地裏を歩き、市役所前へ。学門駅はトタン張でしたが、ここは屋根がビニールトタンになってさらに停
留所感UP。
終点の西御坊は松原通商店街の中にあります。最近までは昼間時間帯のみ駅員がいたようですが、今は無人駅
となっています。
駅周辺の様子。踏切がなければ、そこに駅があるのがわからないほどとけ込んでいます。
ここから先日高川までの700mは軌道が撤去されず残っており、比較的簡単に廃線跡をたどることができます。
終点日高川の駅舎は撤去されています。しかしそれ以外は廃止から13年たった今もそのまま残されています。
廃線跡巡りに時間を使いすぎたため、西御坊までの約1kmを走って戻ります。(但し荷物は諸々含め10kg以上)
道を間違え遠回りはしたものの、何とか発車に間に合いました。
いよいよキハ603に乗車します。
キハ603。604と同じく昭和35年新潟鐵工所製造。通常の気動車は左手マスコン、右手ブレーキですが、この車両は逆で右手ブレーキなのが特徴。(機関車と同じ)
キハ603の方は大分交通耶馬渓線に当初から導入されていた車両で、昭和50年に同線が廃止され紀州鉄道に譲渡された。当時の愛称は「かじか」。ちなみに他の耶馬渓線の車両の一部は、中津市内(大分県)の汽車ポッポという食堂で営業中。
こんな感じ・・・
乗車してみると、シートのクッションなどさすがに古さは隠せませんが、非常によく手入れがされています。白熱灯
の照明や少し背の低いクロスシートなど特徴も目を引きます。乗車時は自分を含め3人でしたが、途中で一人に
なりましたので、あまり遠慮せずに撮影してしまいました。時速20kmと非常にゆっくりした速度で進んでいきます。
2.7km、8分のほんの短い時間ですが、車内は本当にゆったりとした時間が流れていました。
御坊駅14:00発和歌山行きで紀州鉄道をあとにし、有田鉄道のある藤並に向かいます。
有田鉄道は御坊から紀勢本線を和歌山方面に20分。JR藤並から内陸の金屋口にのびています。平日のみの
運行で、しかも一日2往復昼間のみの運行という路線です。同区間に有田鉄道バスという同系の会社がバスを
走らせていますが、この路線は道路の道幅が非常に狭いため、混雑緩和のためというのが平日の昼のみ運行
の理由です。
有田鉄道藤並駅はJR藤並の2番ホームの裏に位置し、跨線橋を越えていきます。以前はここから国鉄線に乗
り入れていましたが、今は車止めが設置されています。
今日は鉄道は運休ですので、バスで金屋口に向かいます。
有田鉄道のバスはこんな感じのマイクロバスです。(金屋口営業所で撮影)
藤並から金屋口までの間の道は狭く、大型車同士の離合も困難です。藤並で線路をわたったあと、金屋口近く
になるまで線路を見ることはなく、鉄道より若干時間がかかって、およそ13分で金屋口に到着です。
藤並を出てすぐバスは有田鉄道の線路を渡る。
右;有田鉄道本社。本業は観光バスで、路線バス、タクシーなどを展開。
金屋口駅は有田鉄道本社の裏にひっそりとたたずんでいます。奥にはハイモ180が留置されていました。運休
ですが、線路内には立ち入らず線路脇の土手の上から撮影します。
車庫内にはキハ58003が留置されているのがみえました。このキハ58003も、最近ではほとんど車庫外に出
されることもないようです。しかし紀州鉄道から譲渡されたはずのキハ605はどこにあるのかわかりませんでした。
駅構内の鉄道案内所では平日のみの運行で、もはやお荷物としか考えていないのかと思いきや、記念定期入場
券やオリジナルTシャツなど、なかなか商売熱心でした。(でも土日は休みというオチ付き)
和歌山は多くの私鉄が残っていましたが、1994年の野上電鉄、そして有田鉄道と次々と姿を消しつつあります。
しかし、現在までなぜ鉄道が残れているのか、実際見るまでは疑問を感じていましたが、それには交通、特に道路
事情があるようです。それでも地元の利用だけでは限界があるようで、今回訪れた2カ所とも観光客向けにシフト
ていました。今後も厳しい状況は続くでしょうが、特徴ある車両が残る貴重な路線をして、いつまでも残ってほしい
ものです。
ちなみに今夜の宿は紀州鉄道大阪梅田ホテル。ホテル正面のウィンドウにはこんなのが飾ってありました。
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